大西元武

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大西元武(おおにし もとたけ、享禄3年〈1530年〉- 天正3年〈1575年〉、享年45歳)は、戦国時代伊予国国人領主。伊予轟城主。備中守と称す。父は覚用、一族に頼武、頼晴、頼包

金川轟山を拠点に、宇摩地域(現在の四国中央市)を治めていた武将である。

天正2年(1574年)川之江城主川上安勝を攻め滅ぼし、其の所領を奪い轟山に城を築く。(築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に信藤周防守正国によって築かれたと云われる[1]。)

長曾我部家による四国統一の過程でこれに対抗するため郡内諸将と連携を試みるが松尾城主、真鍋が離反、天正5年(1577)7月、松尾城に兵を進めるも大敗し、二人の弟を失い、劣勢となり一子小次郎を伴い轟城を離れ、金川村国秀の山川五郎左衛門の屋敷に匿われる。

同年7月10日山川屋敷にて自害。 [2][3]

出典

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