大谷泰司
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横浜市立横浜商業高等学校に進んだが、春の選抜・夏の選手権の全国大会へは進出できなかった(当時は浅野高等学校、湘南高等学校が夏の甲子園に出場していた時期である)。卒業後1961年にセントラル・リーグの審判部に入局。関東出身でありながら関西審判部所属を希望。受理され1984年1月の退局まで同部の所属となる。
若い頃から視力が落ちており、一時期は眼鏡をかけて審判していたが、1969年のとあるゲームで判定に激昂した当時の中日監督水原茂に眼鏡をむしり取られるという出来事に見舞われてからはコンタクトレンズをつけて審判するようになる。通算2165試合に出場、オールスターゲームに出場1回(1968年)・日本シリーズの出場はゼロだった。セントラル・リーグの優勝決定試合では球審こそないものの審判として立ち会っている(ゲームについては後述)。
晩年はコンタクトレンズが合わないほど視力が低下し、一軍での出場機会が減少。1980年(昭和55年)以降はほとんどなかった。英語が堪能で米国の野球事情にも通じており、セ界では国友正一に次いで2番目に早くインサイドプロテクターを使用した審判員である。