大野弁吉

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大野弁吉

大野 弁吉(おおの べんきち、1801年 - 1870年)は江戸時代日本発明家(技術者)である。中村屋弁吉とも。一東、鶴寿軒と号す。

京都の羽根細工師の息子として生まれ、20歳の頃、長崎で蘭学を学ぶ[1]。その後、対馬経由で朝鮮に渡り[2]、帰国後は中村屋八右衛門の長女うたの婿となり、1831年(天保2年)に石川郡大野村(現金沢市大野町)に移り住んだ[1]。この頃から大野弁吉と呼ばれる[2]。生涯清貧に甘んじた生活を送り、1870年(明治3年)没[2]。享年69歳[2]

木彫・ガラス細工・塗り物・蒔絵・からくり人形に優れた名作を多く残し[1]、エレキテル・写真機・発火器(ライター)といった品々を発明した[2]。大野の発明品は、田中儀右衛門(からくり儀右衛門)に比するとも言われ[1]、写真の分野においては先駆的な役割を果たした。銭屋五兵衛とも親交があったが[1]、どの程度の援助を受けたかは不明[2]

著書に『一東視窮録』がある[1][3]

脚注

関連書籍

関連項目

外部リンク

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