大野百合子 (詩人)

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死没 (1938-09-26) 1938年9月26日(30歳没)
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 小樽高等女学校(中退)
大野 百合子
(おおの ゆりこ)
遺稿詩集『雪はただ白く降りて』より。
1932年(昭和7年)7月撮影。
誕生 (1908-04-24) 1908年4月24日
北海道余市町
死没 (1938-09-26) 1938年9月26日(30歳没)
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 小樽高等女学校(中退)
ジャンル
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大野 百合子(おおの ゆりこ、1908年明治41年〉4月24日[1][2] - 1938年昭和13年〉9月26日[3])は、日本詩人。才能に恵まれながらも早世した女流詩人とされる[4]

1908年(明治41年)4月24日、北海道余市町で誕生した[1][5]。1917年(大正6年)に小樽区に転居[2]。小樽高等女学校(後の北海道小樽桜陽高等学校)に入学したが、病気により中退[1][4]。上京して洋裁を学び[2][6]、1926年(大正15年)に小樽洋服裁縫女学院を設立した[1][7]。1932年(昭和7年)の解院までに、約200人の卒業生を送り出した[2][8]

20歳代から、詩作に本格的に取り組み[4][8]、文学雑誌『新短歌時代』『詩歌建築』などに詩を投稿した[1]。詩人の宮崎丈二に認められたことで[1][7]、宮崎に師事し[9]、1931年(昭和6年)[2]、同人誌『河』に参加した[1]。当時の同人の1人は百合子を「不意に窓から吹き込んできたような微風」と表現した[6]。1933年(昭和8年)までに、61編の詩を発表した[1][7]。『婦人公論』1932年(昭和7年)正月号の付録「全国代表婦人」では、職業婦人の1人として名が挙げられた[2][8]

1935年(昭和10年)に結婚して満州に渡った後[3][4]結核により[9]、1938年(昭和13年)9月に30歳で早世した[3]

評価

脚注

参考文献

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