大鏑神社
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寛治3年(1089年)、後三年の役で安倍貞任を討つため[3][4]安積地方を通りかかった源義家は、この地で大蛇が暴風雨を起こして農民が困っているのを知り、家臣の鎌倉権五郎景政に大蛇の退治を命じた。景政は五本の鏑矢を射て、一本目が竹ノ内在家、二本目が安子嶋村、三本目が早稲原村、四本目が福原村(郡山市富久山町福原の豊景神社周辺)、五本目が船津村(郡山市湖南町)に落ちた[5]。そして、そのうちの一本が大蛇の頭に当たり、大蛇はのたうち回りながら舟津で力尽きた[3]とも、雲の上から福原(蛇壇の碑付近)に落ちた[5]とも言う。
その後の天養元年(1144年)、安積郡の農民が景政に感謝し、二本目の鏑矢が落ちた地で「御霊宮」を建ててその霊を合祀して村内安全を祈ったのが始まり[3]。
