大門岩嘉右エ門
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1909年1月山分部屋から初土俵を踏む。後に出羽海部屋に移籍する。四股名は故郷の名勝「芥屋の大門」に因んだ。順調に昇進し1914年1月十両、1917年1月入幕した。175cm、101kgの体でもろ差し、右四つを得意とし、上手出し投げも得意とするなど技巧派。非力ながら出足は鋭かった[1]。大関千葉ヶ嵜に強く、3勝3敗1分1預の対戦成績を残した。1919年1月に前頭2枚目で5勝3敗1預、5月も同位置で横綱鳳、大関千葉ヶ嵜らを破り7勝3敗ながら筆頭に止められるなど、番付運が悪く、勝ち越しても上位になかなか上がれなかった。1922年1月関脇に昇進し5勝4敗1分ながら翌場所小結に陥落。1925年5月15枚目で2勝4敗1分で十両陥落が決定的となり引退。年寄山分となる。引退後は検査役から監事、理事を歴任。山分部屋も経営し、幕内駒ノ里秀雄、十両白鷺政雄を育てた。1944年に年寄を廃業し、1950年に没した。