大阪劇場
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 大阪劇場 Osaka Theater | |
|---|---|
|
1956年(昭和31年)3月、大阪松竹歌劇団(OSK)の「春のおどり」上演中の劇場前 | |
| 情報 | |
| 通称 | 大劇(だいげき) |
| 正式名称 | 大阪劇場 |
| 旧名称 | 東洋劇場 |
| 完成 | 1933年 |
| 開館 | 1933年9月 |
| 閉館 | 1967年6月4日 |
| 最終公演 | 歌謡ショー「栄光の三十三年」 |
| 客席数 | 2,780 |
| 用途 | 演劇、音楽、各種イベント公演 |
| 運営 | 千土地興行株式会社 |
| 所在地 | 大阪府大阪市中央区千日前2丁目8-17 |
| 特記事項 |
略歴 1933年:東洋劇場として開場 1934年:大阪劇場に改称 1967年:大阪劇場閉場 1991年:大劇ビル解体 1996年:跡地になんばオリエンタルホテルがオープン |
大阪劇場 (おおさかげきじょう)は、かつて大阪府大阪市南区河原町1丁目(現・中央区千日前2丁目)にあった劇場である。通称・大劇(だいげき)。大阪松竹歌劇団(現・OSK日本歌劇団)のレビューと歌手・映画俳優の実演で知られた。日本ドリーム観光(旧・千土地興行)経営。
- 1933年(昭和8年)8月30日、竣工。当初の名前は東洋劇場。9月1日より映画館として営業を開始。オープン当日に上映された映画は、カート・ニューマン監督の『ビッグ・ケージ』(1933年)とジョン・マレー・アンダーソン監督の『ジャズ・キング』(1930年)といったユニバーサル・ピクチャーズ作品2本立であった[1]。
- 1934年(昭和9年)4月 経営に行き詰まり、松竹傍系の千日土地建物(通称・千土地)が買収。大阪劇場と改称。
- 1934年(昭和9年)8月1日 大阪松竹少女歌劇団(OSSK)を専属とし、映画とレビューの二本立て興行を行う[1]。
- 1937年(昭和12年)12月17日 火災により1-3階を全焼。早朝であったため観客や劇場関係者は不在であったが、工事関係者1人が死亡[2]。
- 1945年(昭和20年)3月13日の大阪大空襲で破壊されたが、突貫工事で修復され、7月26日から大阪松竹歌劇団(OSK)「夏まつり」の公演が再開された[3]。
- 1967年(昭和42年)6月4日 歌謡ショー「栄光の三十三年」をもって興行を打ち切り、廃座。
- 1991年(平成3年) 大劇ビル取り壊し。
- 1996年(平成8年) 大劇ビル跡地に「なんばオリエンタルホテル」開業。
興行形態
構造
- 建屋:地上5階建。地下及び塔屋付き
- 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造
- 座席数:2780
OSK以外の主な出演者
事件史
大劇サロン
大劇レジャービル
日本ドリーム観光は、1967年(昭和42年)6月、廃座した劇場部分を含めて大劇ビル全体を閉鎖し、総合レジャービルに改装するための工事に着手した。同年10月に改装工事は完了し、大劇ビルは「大劇レジャービル」として新しく生まれ変わった。そして大劇ビルは、改装前から営業していた地下の大劇サロンと上階の映画館(大劇名画座)を含んだ一大娯楽施設に転換した。新たな施設としてジャズ喫茶「やかた」、ボウリング場「大劇ドリームボウル」、ダンスホール(後のディスコ、現在のクラブに相当)「大劇ダンス天国」、キャバレー、アルバイトサロン、ビリヤード場、射的場、サウナ、パチンコ場、お化け喫茶サタン(北側別館)[注 1]、大劇プレイランド(北側別館)[注 2]、貸店舗スペースなどが設置された。1階(外周部を含む)および地階には飲食店(百番・千房など)が入店した。そのほかに千日デパート火災で移転を余儀なくされた一部名店街の店舗も入店し、館内はさながら複雑な迷路状態となっていた。