大院君 From Wikipedia, the free encyclopedia 大院君(たいいんくん、だいいんくん、テウォングン、대원군)は、李氏朝鮮において、王位が父から子への直系継承が行われなかった場合に、新しい国王の実父に対して贈られる尊号である。 生前にこの称号を与えられたのは興宣大院君1人だけであり、また李氏朝鮮時代末期(19世紀後半)において多大な影響力をふるったため、単に「大院君」というと興宣大院君を指すことが多い。 徳興大院君(1530年 - 1559年) - 14代・宣祖の父 11代・中宗の九男で、名は岹(山偏に召)。1538年に徳興君になる。死後、1567年に三男の河城君が14代・宣祖として即位し、1570年「徳興大院君」に追尊された。夫人は鄭麟趾の曾孫(鄭麟趾の孫・鄭世虎の娘)にあたる河東府大夫人・鄭氏。長男は河原君(1545年 - 1597年)、次男は河陵君(1546年 - 1592年)、三男が宣祖である。墓は京畿道南楊州市別内面德松里にあり(京畿道記念物第55号)、正式にはあくまでも「墓」だが、宣祖の命により王の墓を指す「陵」字を用いた「徳陵」の別称も通用している。 全渓大院君(1785年 - 1841年) - 25代・哲宗の父 21代、英祖の子思悼世子の庶子恩彦君の庶子。 1849年に三男の徳完君が25代•哲宗として即位し、 同年「全渓大院君」に追尊された。 興宣大院君 - 26代・高宗の父 上記の3人以外に16代・仁祖の父定遠君も定遠大院君と称されたが、さらに元宗の廟号を追尊されて王扱いになった。 関連項目 大院君政権:興宣大院君による政権 尊号 大君 府院君 君 濮議:北宋で傍系から帝位を継承した皇帝の父に与える称号を巡って起こった政治問題。 大礼の議:明で傍系から帝位を継承した皇帝の父に与える称号を巡って起こった政治問題。 尊号一件:18世紀末の日本で傍系から皇位を継承した天皇の父及び傍系から将軍位を継承した将軍の父に与える称号を巡って起こった政治問題。 Related Articles