大宜味村に生まれる[1]。1903年(明治36年)、沖縄県師範学校を卒業し、具志川尋常高等小学校の訓導となる[1]。1911年に訓導を退職し、大宜味村村会議員をつとめたたが、1914年に教職に就き[1]、辺野喜小学校や古宇利小学校の校長を務めた[2]。
1920年に、初の民選として大宜味村の村長に当選し、以後、3期務める[1]。しかし、1931年(昭和6年)、大宜味村政革新運動が起き、村の経営について批判を受け、6月には、辞職要求を突きつけられた[注釈 2]。
翌1932年(昭和7年)6月に議会で辞任を表明した[4]。しかし、同年の大宜味村の村会議員選挙に立候補して、当選した[5]。1933年(昭和9年)、沖縄県議会議員に当選する[1]。