太田六郎右衛門尉
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系譜
従来、太田六郎右衛門尉は『太田家記』の記述に基づき、道灌の嫡男・資康と同一人物であると考えられてきた。しかし、『赤城神社年代記録』の記述から資康は明応7年(1498年)に死去していたとみられる[注釈 1]ことなどから、別人であるとの指摘がされている。別人説をとる場合、道灌の実子は資康だけであったことから、六郎右衛門尉は道灌の養嗣子であったことになる。
六郎右衛門尉が太田氏の系譜の中でどのように位置するかは不明であるが、黒田基樹は、道灌の弟・六郎資常の子であったと推測している。
また、永正(1504年~1521年)後期から大永期(1521年~1528年)に名前が現れる太田六郎資定が、六郎右衛門尉の嫡子であった可能性が指摘されている[1]。