太田垣誠朝 From Wikipedia, the free encyclopedia 太田垣 誠朝(おおたがき まさとも、生没年不詳)は、日本の武将。太田垣新左衛門誠朝とも。 太田垣通光の子として生まれる。山名氏の配下であり、嘉吉の乱の際に赤松氏の討伐での功績により、播磨国の守護代を命じられたと言う。また、太田垣氏の居城である竹田城の城主に任ぜられたというが、初代城主は太田垣光景となっている為不明である。子は不明(土佐守?)。孫に宗朝[1]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ “太田垣氏”. 播磨屋.com. 2023年3月5日閲覧。 Related Articles