形式は「平城」で、温知小学校一帯に築かれていた[3][信頼性要検証]。
明治時代の字絵図では、城の土塁や堀の形に土地割りがされていて、かつて城が存在したことが確認できる。なお、その字絵図を参考に復原すると、
- 堀を含め、南北108 m、東西88 mの長方形
- 堀・土塁はともに、5-10 mほどの幅で、周囲を取り囲んでいる
以上が、主な城の概要である。
なお、1995年(平成7年)の駐車場造成にともなった発掘調査[4]にて、
- ほぼ字絵図通りの位置に堀と土塁を検出
- 堀は、深さ1.7 m、幅は7 m以上と推測
- 土塁は、削られ高さは不明であるが、幅は約7 mと確認
など、細かく確認できた。
現在は小学校の北側の路地脇に石碑があるのみである[4]。