奇大升 From Wikipedia, the free encyclopedia ハングル: 기대승漢字: 奇 大升発音: キ デスン奇 大升各種表記ハングル: 기대승漢字: 奇 大升発音: キ デスンテンプレートを表示 奇 大升(き だいしょう、キ デスン、기대승、1527年12月1日(旧暦11月18日)-1572年12月5日(旧暦11月1日))は李氏朝鮮時代の儒者。字は明彦、号は高峰、存齋、諡号は文憲である。本貫は幸州奇氏。 全羅道光州出身。李滉や金麟厚の門人で、早くから経典を博綜し、古今史伝、九流百家に旁通する。1558年に科挙の文科に及第し、史官を歴任、大司成、大司諫に上った。朱熹の唱えた四端七情と理気論との関係をめぐり、李退渓と長年の論争となるが、後進の儒者らに継承され、朝鮮儒学界の中心課題の一つとなる一方、性理学の水準向上に寄与した。 晩年は李浚慶(朝鮮語版)の政策に反対し、1572年に辞官、古阜郡で病死した。著書に「高峰集」「朱子文録」「論思録」などがある。 参考文献 「アジア人物史 第7巻」集英社 2022年 この項目は、朝鮮の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:朝鮮/P:歴史/PJアジア/PJ歴史)。表示編集 典拠管理データベース 全般 FAST ISNI VIAF WorldCat 国立図書館 フランス BnF data ドイツ アメリカ 韓国 オランダ その他 IdRef Related Articles