全羅南道長城郡出身。最初、宋純に学び、崔山斗と金安国に入門した。1531年に科挙の司馬試に及第、李退渓と交友し切磋琢磨した。1540年に登第し、承文院に就き、弘文館正字を拝した。1543年に博士兼侍講院説書に昇級する。世子(のちの仁宗)の輔導を務め、恩遇を受けた。1544年と1555年に中宗と仁宗が相次いで崩御すると、服喪のうちに心疾を発して棄官し、明宗の召命も固辞し、朱子学の講究に没頭して後進の育成に専念した。
著書に「洪範揲蓍作卦図」「天命図」「大学講義跋」「孝経刊誤跋」「河西集」「百総抄解」などがある。