奈良岡良二
From Wikipedia, the free encyclopedia
青森県南津軽郡浪岡町(現青森市浪岡)出身[4][5][6]。実弟の奈良岡健三ものちに競歩選手となる[6][注釈 1]。
青森県師範学校に学び、在学中は短距離走・駅伝からスキーまでをこなした[6]。同校を卒業し[1][6]、1931年に東京に出る[6][注釈 2]。「いつでもトレーニングできる種目」として競歩を選んだといい[6]、競歩がオリンピック種目として復活すると[注釈 3]、1936年ベルリンオリンピックに向けて計画的にトレーニングを重ね、国内予選を突破して日本代表選手に選ばれた[6]。競歩競技では日本初のオリンピック選手である[7]。
1936年ベルリンオリンピックで50キロメートル競歩に出場した[4][8]。成績は5時間7分15秒(19位)[1](Athletics at the 1936 Summer Olympics – Men's 50 kilometres walk参照)。
1944年(昭和19年)から北京大学副教授を務めた[4]。帰国後、青森県の高等学校長を歴任。大湊高等学校校長在任中の1967年[9]には同校で「耐久遠足」を創設した[10]。郷里にある浪岡高等学校校長を最後として高校教育界を去る[6]。
1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで弘前学院大学教授に在任[4]。青森県の陸上競技協会理事長として陸上競技の発展に尽力[6]、1964年東京オリンピックの競歩代表選手・栗林喜右衛を育成した[6][注釈 4]。