奥三河
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三河国奥郡
奥三河が指す範囲は明確ではなく、曖昧な概念であるとされる[1]。北設楽郡を奥三河の中心とすることには異論がないとされる[2]。
中世には現在の北設楽郡北部までが加茂郡であり、また現在の新城市中心部も設楽郡だった[1]。
今川氏・徳川氏の資料によると、室町・戦国時代には三河国渥美郡が奥郡と呼ばれていた。設楽郡が奥三河であるという主張は近年になって造作されたものとされる。奥三河の呼称が初めて文献に言及されるのは、1900年に奥三河同人誌文学館から刊行された「許呂母」とされ、この文献では豊田市の中心部である衣(ころも)を指していた。[要出典]
天竜奥三河国定公園の指定以降、東三河側の南北設楽郡のみを奥三河と称すると言う主張がなされるようになった。[要出典]これに対して西三河側では、新城市・北設楽郡との区別のため「北三河」の名称を使う団体が出始めている[3]。
