奥田平次 From Wikipedia, the free encyclopedia 奥田 平次(おくだ へいじ、1867年1月2日 - 1955年12月20日)は、アメリカ合衆国の実業家。シアトルに居住し、現地の日本人会会長などを務めた。日系一世。 1867年、奈良県磯城郡安倍村(現:桜井市)に生まれる。1893年8月に渡米し、1900年にシアトルで運送業を開始。同年パーキンスと結婚。1901年、シアトル日本人会発足にあたり副会長に就任。1906年、東洋運送会社社長。1913年、北米連絡日本人会の初代会長に就任。 1917年12月から翌月にかけ、シアトル母国実業視察団を率いて来日。大隈重信、渋沢栄一と面談してシアトル在留日本人の状況、問題点等を説明[1]。 1919年、奥田柴垣商会を創立し、日本製品の輸入貿易を始める。1920年、北米日本人会会長に就任。1927年、米国西北部連絡日本人会長に就任[2]。 1953年、勲四等瑞宝章を受けるために来日。同年11月20日には、皇居にて昭和天皇から会釈を賜る[3]。 脚注 [脚注の使い方] ↑ “第23回(前編) シアトル日系人社会のリーダー・奥田平次”. ディスカバー・ニッケイ (2025年2月4日). 2025年3月5日閲覧。 ↑ “第19回シアトル日系人社会のリーダー、奥田平次と伊東忠三郎〜『北米時事』から見る シアトル日系 移民の歴史”. ノース・アメリカン・ポスト (2023年2月27日). 2025年3月5日閲覧。 ↑ 宮内庁『昭和天皇実録第11』東京書籍、2017年3月30日、502頁。ISBN 978-4-487-74411-4。 関連項目 移民 Related Articles