奥田敏輝

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生年月日 1949年1月2日
没年月日 (2006-09-14) 2006年9月14日(57歳没)
身長
体重
178 cm
74 kg
奥田 敏輝
基本情報
出身地 日本の旗 日本 大阪府豊中市
生年月日 1949年1月2日
没年月日 (2006-09-14) 2006年9月14日(57歳没)
身長
体重
178 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1966年 第1次ドラフト5位
初出場 1968年9月18日
最終出場 1969年9月23日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

奥田 敏輝(おくだ としてる、1949年1月2日 - 2006年9月14日[1])は、大阪府豊中市出身のプロ野球選手[2]

大阪府立桜塚高等学校では2年秋からエース、主将となる。1966年夏の甲子園府予選では6試合完封、58.1イニング連続無失点を記録し、準決勝では大阪学院大高江夏豊と投げ合い1-0で完封勝ち。しかし決勝は北陽高の橋本和行、園田喜則の継投の前に0-4で完封負け、甲子園出場を逸する[2]。北陽高には中堅手長崎慶一もいた。

1966年の一次ドラフト5位で阪神タイガースに入団[2]1968年から一軍で起用され、中継ぎで7試合に登板する。1969年にはウエスタン・リーグで15勝を挙げ、最多勝を獲得。しかし一軍では結果を残せず、1972年をもって退団した[2]スリークォーターから決めダマのシンカーカーブを使うピッチングが持味であった。

引退後はサラリーマン生活を経て、水道関連の会社を興す[2]

江夏豊とは阪神でも同期入団となり、友人関係が続く。1996年には、前述の甲子園府予選準決勝の30周年記念として、桜塚高校対大阪学院大学高校の再対決を実現させた[2]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1968 阪神 7000000--------4611.01321001000554.091.27
1969 2000000--------132.230100200100.001.50
通算:2年 9000000--------5913.21622001200653.211.32

タイトル

  • ウエスタンリーグ最多勝:1回(1969年)

背番号

  • 72 (1967年入団当初)
  • 30 (1967年 - 1968年)
  • 13 (1969年 - 1970年)
  • 32 (1971年)
  • 48 (1972年)

関連項目

脚注

外部リンク

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