好村三郎
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1919年(大正8年)、兵庫県芦屋に生まれる。旧制灘中学校に入学し、野球部で右投げ左打ちの投手、主力打者として活躍[1]。
1937年(昭和12年)3月、立教大学に入学。野球部で投手、主力打者としてプレーし、主将、監督も兼ねた。終身打率は3割4厘で、東京六大学野球史上13番目の終身打率三割打者となり、立教大学野球部としても初の三割打者となった[1]。
1942年(昭和17年)9月、立教大学経済学部を繰上げ卒業し、三菱重工業に入社した後、軍隊に入隊する[1][2]。
フィリピン戦線で負傷するが、1946年(昭和21年)1月に復員し、1946年(昭和21年)7月、朝日新聞東京本社運動部記者となる[1][2]。
主に学生野球を取材し、退職後は東海大学体育学部教授を務めた。高校野球の指導にも、情熱を注いだ[3]。
スポーツにおいてマネージャーの重要性を捉えて、「名マネージャーの下に勝利あり」との言葉を伝えている[4]。