姥塚古墳 (笛吹市)
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| 姥塚古墳 | |
|---|---|
|
墳丘・石室開口部 | |
| 別名 | 御場塚 |
| 所在地 |
山梨県笛吹市御坂町下井之上941 (南照院境内) |
| 位置 | 北緯35度38分4.95秒 東経138度39分29.85秒 / 北緯35.6347083度 東経138.6582917度座標: 北緯35度38分4.95秒 東経138度39分29.85秒 / 北緯35.6347083度 東経138.6582917度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径40m 高さ10m |
| 埋葬施設 | 片袖式横穴式石室 |
| 築造時期 | 6世紀末 |
| 史跡 | 山梨県指定史跡「姥塚」 |
| 地図 | |
姥塚古墳(うばづかこふん)は、山梨県笛吹市御坂町下井之上にある古墳。形状は円墳。山梨県指定史跡に指定されている(指定名称は「姥塚」)。

甲府盆地南東部、金川扇状地の左岸扇端部に築造された大型円墳である[1]。現在は慈眼山南照院境内に位置し、石室内には聖観音像が祀られる。測量調査および南側周溝部の発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径約40メートル・高さ10メートルを測る[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。現存石室長17.54メートルを測る非常に大型の石室であり、山梨県では最大規模かつ東日本でも屈指の規模になる。盗掘に遭っているため副葬品は詳らかでない。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀末[1](または6世紀後半[2])頃と推定される。南側には同時期の集落遺跡として二之宮・姥塚遺跡が広がる[1]。甲斐地方では古墳時代前期に甲斐銚子塚古墳(甲府市下曽根町)が築造されて以降、中期に大型古墳は築造されていないが、後期には本古墳のほか加牟那塚古墳・万寿森古墳(いずれも甲府市千塚)といった大型石室墳が築造されており、特殊な様相を呈する[1]。なお伝承では、山姥が大男と競争して造ったため「姥塚」といい、聖徳太子が甲斐に入ったときに愛馬が倒れて葬ったので「御馬塚(おんばづか)」というとする[3]。
遺跡歴
埋葬施設


埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:17.54メートル(現存部)
- 玄室:長さ9メートル、幅3.3メートル(奥壁部)・3メートル(玄門部)、高さ4.2メートル
- 羨道:幅2.4メートル(玄門部)、高さ2.5メートル
石室の石材は1-1.5メートルの自然石で、乱石積みによって構築される[1]。玄室の奥壁は2段積みで、下段は2枚組、上段は1枚石からなる[1]。天井石は玄室部で5枚、羨道部で4枚(開口部の1枚は崩落)[1]。玄室と羨道の境は、幅0.9メートル・高さ約2メートルの方柱状柱石で区画される[1]。
なお、南照院境内には大型の石材が点在することから、羨道はさらに5-6メートル長くなるとする説がある[1]。
- 玄室(奥壁方向)
- 玄室(奥壁方向)
- 玄室(羨道方向)
- 羨道(開口部方向)
- 羨道(玄室方向)
- 開口部
