姫路市立太市小学校
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| 姫路市立太市小学校 Oichi elementary school | |
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北緯34度51分44秒 東経134度36分10秒 / 北緯34.86232度 東経134.60286度座標: 北緯34度51分44秒 東経134度36分10秒 / 北緯34.86232度 東経134.60286度 | |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
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| 校訓 | 知・情・意[1] |
| 設立年月日 | 1891年(明治24年)7月1日 |
| 開校記念日 | 7月1日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 一貫教育 | 小中一貫教育(連携型)[2] |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | B128210005147 |
| 所在地 |
〒671-2234 兵庫県姫路市西脇507番地 |
| 外部リンク | 公式サイト |
公式サイト「本校のあゆみ」[3]及び『百周年記念誌』の記述による。当地は龍野藩の時代から中田貫治塾・井垣勝治郎塾・森下掃部塾・堀野塾の4寺小屋が設置されていた[4]。そして明治の学制発布により現在の本校区における各村に設置された学校に本校の祖を求めることができるが、これは一旦現在の龍田小学校区に設置された成徳小学校に統合された。その後本校区内に再設置された学校が現在の本校の直接の前身となる。
- 1872年(明治5年) - 西脇村に津川小学校創立。太市中村に育英小学校創立、広坂村に広成小学校創立[4]。
- 1876年(明治9年) - 津川・育英・広成の3校を統合して西脇村に秋成小学校創立[4]。
- 1885年(明治18年)8月 - 学区改正により佐用岡の進徳小学校と合併し、11か村組合立の成徳小学校[注 1]を広坂村に設立[4]。秋成、進徳両校を支校となす。
- 1887年(明治20年)4月 - 両支校を廃し広坂村の校舎に移転、成徳尋常簡易小学校となる[5]。
- 1891年(明治24年)7月1日 - 県令改正により専光寺北方に太市尋常小学校設立[5]。実業補習学校を併置[6]。姫路市の主張ではこの日を本校創立日としている。
- 1900年(明治33年)4月1日 - 現在地に移転[6][注 2]。
- 1912年(明治45年)4月 - 組合立斑鳩高等小学校[注 3]を解散し、太市尋常小学校に高等科を併設[7]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、太市国民学校と改称[8]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行により、太市村立太市小学校と改称[8]。
- 1952年(昭和27年)2月 - 校歌制定(作詞:職員一同[注 4]、作曲:玉田初太郎)[9]
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 太市村が姫路市に編入され、姫路市立太市小学校と改称。
- 1959年(昭和34年)2月 - 学校給食開始[9]。
- 1961年(昭和36年) - 3年連続健康優良学校として表彰される[9]。
- 1971年(昭和46年)10月 - 学校給食優良校文部大臣表彰[10]。
- 1982年(昭和57年) - 文部省指定「勤労生涯学習実践校」指定(翌年度まで)[11]。本校こども郵便局が大蔵大臣、日本銀行総裁賞受賞[12]。
- 1983年(昭和58年) - 学校園緑化コンクール市県優秀賞受賞[12]。
- 1984年(昭和59年) - 兵庫県知事「学校緑化 みどり賞」受賞[12]。
- 1985年(昭和60年) - 全国花いっぱい運動 毎日新聞社優秀賞受賞[12]。
- 1986年(昭和61年) - 全国花いっぱい運動 優秀賞受賞[12][注 5]。
- 1988年(昭和63年) - 本校こども郵便局が近畿郵便局長表彰を受ける[13]。
太市校区は少子化の影響が著しく、昭和末期にはすでに1学年1クラスの小規模校であった。姫路市教育委員会は本校を「早急に統合する必要がある」として早ければ2027年度にも姫路市立青山小学校との統合を目指す方針を明らかにした[14]が、PTAや自治会でつくる太市小協議会はこの統合案に強く反対し、市教委と協議会との議論が進んでいない[15]。
通学区域
- 太市中、西脇、相野、丸山、石倉[16]
- 進学先中学校の変遷
- 1947年度~1957年度 - 組合立大津茂中学校
- 1958年度 - 姫路市立白鳥中学校(組合解消による通学先変更)
- 1959年度~現行 - 姫路市立大白書中学校(中学校統合)
