姫路白なめし革細工
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「白靼」、「越靼」、「古志靼」の異名をもって知られた。越、古志は、出雲国古志村(今の出雲市古志町)に因んだと推測されている。
『花田史志』に「神功皇后三韓征伐の際、連れ戻した者の中に熟皮術に長けるものあり。始め但馬の円山川にて試製せしも水質適さず。依って南下し播磨に入り市川にて試みたるに良好なる成績を顕したり、故に之れを師として其の技術を伝習したる高木村民にして姫路革の名を以って世に著はれたるなり」の記述がある。「市川」とは姫路市東部を流れる市川のことを指すと思われる。
これらより朝鮮半島由来の技術が姫路で発展、独自の製法と製品を確立するに至ったと推測される。
植物タンニンなめしやクロムなめしの手法がなかった江戸時代以前には、全国各地で各方面に広く使用されたが、明治以降に欧米から導入された両手法に押され、現在では土産物として姫路市内で扱われる程度となっている。その土産物も、前述のように本来の油なめし革ではなく色も異なる別物が幅をきかせている。