嫩桂正栄 From Wikipedia, the free encyclopedia 諡号 大医禅師[1]宗旨 臨済宗師 心地覚心弟子 信中自敬、泰山自康[2]嫩桂正栄 文永2年[注釈 1] - 文和2年/正平8年1月21日(1265年 - 1353年2月25日)諡号 大医禅師[1]宗旨 臨済宗師 心地覚心弟子 信中自敬、泰山自康[2]テンプレートを表示 嫩桂正栄(どんけい しょうえい)は、鎌倉時代後期から南北朝時代の臨済宗法燈派の僧。 心地覚心の法を継ぎ、京都建仁寺の蔵典をつとめる[3]。のち諸方を遍歴後、美濃の南朝・昭慶門院領であった大桑に20余年庵居する[3]。同門に請われ紀伊興国寺の住持をつとめる[1]。そののち美濃守護土岐頼康が厚見郡に創建した霊楽山正法寺(戦国時代前期に発生した船田合戦で廃寺)にまねかれ開山となる[3]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 文永3年(1266年)生とする資料もある[1]。 出典 1 2 3 デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『嫩桂正栄』 - コトバンク ↑ 人名規範資料庫、2019年1月22日閲覧。 1 2 3 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.430(1985) Related Articles