子規の庭
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座標
北緯34度41分25.38秒 東経135度50分8.85秒 / 北緯34.6903833度 東経135.8357917度座標: 北緯34度41分25.38秒 東経135度50分8.85秒 / 北緯34.6903833度 東経135.8357917度
前身
對山樓
開園
2006年(平成18年)
| 子規の庭 | |
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『秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味』句碑 | |
| 所在地 | |
| 座標 | 北緯34度41分25.38秒 東経135度50分8.85秒 / 北緯34.6903833度 東経135.8357917度座標: 北緯34度41分25.38秒 東経135度50分8.85秒 / 北緯34.6903833度 東経135.8357917度 |
| 前身 | 對山樓 |
| 開園 | 2006年(平成18年) |
| 運営者 | 「子規の庭」友の会 |
| 公式サイト | 子規の庭 |
子規の奈良旅行
1895年(明治28年)、日清戦争の従軍記者として中国にあった正岡子規は、帰国の途において喀血し、神戸須磨での療養ののち、松山に帰郷した[1]。松山で親友の夏目漱石より10円を借り、同年10月26日〜29日の4日間、奈良に滞在した[1]。有名な『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』の句もこの奈良滞在中に詠まれたものである[2]。
この奈良旅行中、逗留したのが当時の奈良の老舗旅館であった『對山樓』であり、この宿を詠んだ『秋暮るゝ 奈良の旅籠や 柿の味』の句を始め、滞在中を綴った随筆なども残している[2][3]。
柿の古木現存の判明
對山樓跡地は現在日本料理店・天平倶楽部となっているが、この一隅に子規も見たであろう柿の古木が現存していることが判明した[3]。この古木の保存を通じ、奈良での子規を顕彰しようという機運が高まり、子規子孫(子規の妹・律の孫)正岡明氏等を中心に、2006年(平成18年)秋、古木周辺に作庭された日本庭園『子規の庭』が開かれた[3]。
奈良の糸瓜忌
2008年(平成20年)より、毎年9月19日の子規の命日(糸瓜忌)には、子規の庭にて法要が行われている[4][5][2]。

