子飼橋
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初代
大正時代に架けられたコンクリート橋。橋は当時の河川敷の中央付近にのみ架けられ、橋の前後は河川敷上に盛土をして作った道路を接続した。 やがて橋の両端を基準に新しい堤防が築かれ、1796年の大水害時に築かれた旧堤防の一部は一夜塘跡として残された[2]。新堤防の建設に伴い出現した堤内地は大蔵省(当時)により払い下げが行われ、新しい市街地が形成されていった。しかし、結果的に橋周辺の河道は狭まり、1953年(昭和28年)に発生した西日本水害時には、橋に流木が詰まったことをきっかけに市街地に大量の水や土砂が溢れ出す原因となった。特に、橋の南側の大江地区の被害は甚大で、多数の民家が流出、浸水したほか多数の死者も出た[3]。