孔国鎮

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死没 2014年12月11日(2014-12-11)(90–91歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
軍歴 曹長(日本陸軍)
准将(韓国陸軍)
孔国鎮
生誕 1923年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮京畿道華城市
死没 2014年12月11日(2014-12-11)(90–91歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織  大日本帝国陸軍
大韓民国陸軍
軍歴 曹長(日本陸軍)
准将(韓国陸軍)
墓所 華城先山(화성 선산
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孔 国鎮(コン・グクチン、공국진、孔國鎭)は、大韓民国軍人本貫曲阜孔氏[1]

水原商業学校卒業。1940年4月、歩兵第78連隊に勤務していた申東雨一等兵の影響を受けて陸軍特別志願兵第3期生を志望して合格[2]。同年8月、陸軍兵志願者訓練所で4か月の教育訓練を受けて12月19日、歩兵第76連隊に配属された[2]。下士官に昇進した孔は1944年1月に第1軍務予備訓練所助教に選抜され、翌年5月に曹長となり終戦を迎えた[2]

1946年1月、南朝鮮国防警備隊第1連隊に志願兵として入隊して曹長(軍番110002番)[2][3]。同年8月、連隊長の推薦で警備士官学校に入学[2]

1946年12月14日、警備士官学校第2期卒業、任少尉(軍番10174番)、第1連隊第1中隊小隊長[2][4]

1948年10月、麗水・順天事件で鎮圧軍作戦参謀[5]

1949年3月、智異山地区戦闘司令部(司令官:丁一権准将)作戦参謀[6]。麗水・順天事件の首謀者である金智會らの掃討に大きく寄与した[6]

1949年9月、智異山地区戦闘司令部(司令官:金白一大領)参謀長[6]。智異山地区第2兵団の掃討で功績を立てた[6]

1950年1月15日、任中領第3師団参謀長[7]

1950年9月、陸軍本部作戦課長[5]

1951年1月、任大領[5]

1951年3月、第1軍団作戦参謀[6]

1951年11月、戦前の智異山討伐経験から白野戦戦闘司令部(司令官:白善燁少将)の作戦参謀に抜擢[6][8]

1952年2月、第8師団第21連隊長[6][5]。パンチボウル東北812高地と854高地の防御作戦を担当した[6]

1954年5月、准将進級と同時に憲兵司令官[5]

1956年1月に起きた金昌龍暗殺事件に連座して1957年4月19日に予備役編入[5]。5年の有期刑を受けて釜山刑務所に服役[5]

1960年4月、四月革命が起こり釈放[5]。当時、軍需基地司令官だった朴正煕の世話になり、やがて実業界に入り、多くの会社の代表理事として活躍した[9]

2014年12月11日死去[10]

勲章

  • 金星忠武武功勲章(勲記番号第735号) - 1950年12月30日[11]
  • 無星忠武武功勲章(勲記番号第3193号) - 1950年12月30日[12]
  • 無星忠武武功勲章(勲記番号第3479号) - 1950年12月30日[13]
  • 銀星忠武武功勲章(勲記番号第4757号) - 1951年8月5日[14]
  • 無星忠武武功勲章(勲記番号第7518号) - 1952年3月20日[15]
  • 銀星乙支武功勲章(勲記番号第905号) - 1953年4月15日[16]
  • 防衛褒章(勲記番号第2829号) - 1956年10月29日[17]
  • シルバースター 1952年[18]

人物

出典

参考文献

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