孩里
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経歴
重熙年間、近侍の長となった。清寧9年(1063年)、耶律重元の乱の鎮圧に功績を挙げ、金吾衛上将軍の位を加えられ、平乱功臣の称号を賜った。殿前都点検に累進し、宿衛をつとめて厳粛なことで知られた。太康元年(1075年)、守太子太保の位を加えられた。太康2年(1076年)、同中書門下平章事を加官された。太康3年(1077年)、同知南院宣徽使事に転じた。
耶律乙辛が中京留守として出向すると、孩里は入朝して祝った。乙辛を中央に召還する議論が出ると、孩里はこれに反対した。後に乙辛が枢密使となると、孩里は広利軍節度使として出された。皇太子耶律濬が誣告されると、孩里も連座するところだったが、道宗の命により罪を問われなかった。太安初年、品達魯虢部節度使となった。
寿昌5年(1099年)、病の床につき、命数が尽きたと言って医薬を拒否し、死去した。享年は77。
伝説
伝記資料
- 『遼史』巻97 列伝第27