孫璋 (後唐)
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兵隊から身を立て、後梁の魏博節度使の楊師厚の麾下に属し、奉化軍使に任じられた。晋王李存勗が魏州に入ると、孫璋は澶州都指揮使に累進した。李嗣源が鎮州に駐屯すると、孫璋は裨校に抜擢された。同光4年(926年)、鄴都の変が起こると、孫璋は李嗣源に従って洛陽に赴いた。天成元年(同年)、趙州刺史と登州刺史を歴任し、斉州防禦使をつとめた。王都が定州に拠って叛くと、孫璋は定州行営都虞候となり、反乱の鎮圧にあたった。天成4年(929年)、王都の乱が平定されると、孫璋は検校太保を加えられた[1]。長興元年(930年)、鄜州節度使に任じられた[2]。のちに退任した[1]。長興3年(932年)3月18日[3]、洛陽で死去した。享年は61。太尉の位を追贈された[1]。