宇田川修一
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鳥取県米子市出身[1][2]。鳥取県立米子東高等学校[5]、滋賀大学[6]卒業。高校時代には硬式野球に打ち込み、大学時代には合気道部の主将を務めていた[1]。合気道2段の資格を持つ[1]。
一人っ子であることから、大学卒業後は地元の鳥取で就職しようと考え、就職情報誌で山陰放送の社員募集広告を見つけ、問い合わせたところ「今募集しているのはアナウンサーだけ」と言われたが、人と触れ合うことが得意でなかったことで、営業職などを外していったら「ここしか残らなかった」ことと、当時交際していた彼女から「とても良い声」と言われたことで、アナウンサーでの受験を決意する。なお、学生時代は放送局に就職することは全く考えていなかったが、表向きの理由は高校野球のラジオ実況をしてみたかったということだったという[7]。
大学を卒業後、1986年[8]に山陰放送に入社[1]。後日、アナウンサー試験の時の試験官から「お前を採用したのは賭けだったんだ」と言われたという[7]。
入社間もない1986年秋ごろ、自らも高校生時代にリスナーとして聴いていた『ミッドナイトパートナー』の1987年4月からのパーソナリティ就任が決まり、その時に前任者の角谷敏朗から「お前みたいなやつが入って来るのを待っていたんだ」と言われたという[7]。
人物
趣味はトライアスロン。毎年トライアスロンの大会に出場し、好成績を残している。