1980年9月からは『軍縮問題資料』を発行、議員や文化人などに精力的に無料配布し、1981年7月号から全国の書店に配布した。
原爆の惨たらしさを世界に知らせるために10フィート制作の「原爆写真帳」を英訳、アメリカをはじめとして各国に「軍縮行脚」を行った。さらに、「ヒロシマ・ナガサキの経験を二度と人類にさせてはいけない」と核の悲惨さを訴え、日本では初めて新聞紙上に全面意見広告を10数回にわたり掲載し、草の根平和運動の啓蒙啓発活動に力を注いだ。
『軍縮問題資料』の最高発行部数は3万部を数える。内容が世界にわたって豊富なことから、エール大学、ボン大学やマサチューセッツ工科大学など世界の有名大学図書館にも購読されていた。
2000年7月の宇都宮徳馬の死去後も、『軍縮問題資料』はミノファーゲン製薬の後継者の宇都宮恭三によって刊行が継続された。巻頭言を名古屋大学名誉教授の豊田利幸が執筆するなどしたが、広告掲載を中止したことなどにより、研究室の財政は厳しくなっていった。
『軍縮問題資料』は2005年4月号をもって一旦休刊し、ミノファーゲン製薬が寄付した明治大学に軍縮平和研究所を設立する形で、研究室の事業を継承すること(『軍縮問題資料』の継続と宇都宮徳馬文庫の設立など)が表明された[1]。同研究所は2005年4月から活動を開始し、季刊誌として『軍縮地球市民』(西田書店)が刊行されたが、第11号(2008年冬号)をもって休刊している。
一方で、「学術研究誌ではなく、市民運動を基盤とした雑誌の存続を」という読者の声を受け、國弘正雄らを中心に市民団体「軍縮市民の会・軍縮研究室」が結成され、『軍縮問題資料』は2005年7月号から同会によって刊行されることとなった[2]。しかし、2007年8月号に秋山昌廣元防衛庁事務次官の原稿を掲載したことをめぐって「市民の会」からの離脱者が発生するなどした結果、2010年12月号をもって休刊している。