安井浩司

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安井浩司(やすい こうじ、1936年~2022年)は、俳人。


永田耕衣の「琴座」に所属し、大岡頌司、加藤郁乎、高柳重信らと交流しつつ独自の俳句の道を歩んだ。広大な世界観と奥深く自在な句風で膨大な数の作品を残した。ときに難解と言われたが射程距離の長い作品と、俳句の本質を追究した評論とで、心ある俳人の熱烈な支持を得た。自ら結社を持つことなく、俳壇から距離を置いて孤高を貫いた。

2003年までは自筆年譜[1]に基づく。

●1936年2月29日、秋田県能代市に生れる。家業は製材業、材木商。米代川、日本海、白神山地の三点セットが幼年時代の原風景だった。

●1942年、能代市立渟城第一小学校入学。虚弱体質だった。

●1951年、秋田県立能代高等学校に入学。その頃から俳句を愛読、「蛍雪時代」「学燈」の俳句欄に投稿。初めて中村草田男選三席に入選。上位組に寺山修司などがいた。友人野呂田稔、柴田三木男、武田伸一等とひんぱんに句会を行った。

●1954年、寺山修司を中心とした十代の俳句研究誌「牧羊神」刊行、同人となる。広島の大岡頌司との交流始まる。高校卒業後ただちに上京、漢学者、書家の田邊萬平宅に書生として寄宿。

●1958年、秋地一郎のペンネームで永田耕衣主宰の「琴座」に投句開始。翌年同人となり、終刊まで在籍した。

●1962年、秋地一郎名を棄て本名をもって、生涯の俳句業を決意す。神田の喫茶店「窓」で「第三土曜の会」が行われ、加藤郁乎とのコレスポンデンスが始まる。出席者に大岡頌司、酒井弘司など。

●1963年、第二回俳句評論賞に応募、佳作入選なれど詩人吉岡実に推賞される。第一句集『青年経』刊行(2022年の『天獄書』まで18句集を刊行した)。高柳重信、中村苑子に初めて会う。

●1964年、「俳句評論」同人となり、終刊まで在籍。

●1965年、京都での「永田耕衣書作展」で耕衣と初めて会う。河原枇杷男とも会う。

●1968年、加藤郁乎を中心とした同人誌「ユニコーン」創刊、同人となる。

●1969年、飛驒高山に移る。

●1973年、秋田に帰郷。金子弘保を中心とした関東の読者による支援の「唐門会」発足、後に強力な精神的バックボーンとなる。

●1974年、評論集『もどき招魂』刊行。

●1977年、掌論集『聲前一句』刊行。

●1990年、永年にわたって多数の評論を執筆してきたが、この頃評論行為を断つ決意をする。

●1993年、『安井浩司全句集』刊行。

●1996年、東京港区「青山荘」で、「未定」「豈」共同主催の「安井浩司を囲む会」開催。また、「未定」70号が安井浩司特集号として刊行される。

●1997年、永田耕衣逝去、「琴座」終刊。

●2003年、志摩聡、大岡頌司逝去、この頃から多くの先輩、友人同志が鬼籍に入り、一層の孤独感を深める。

●2008年、『句篇』までの十三句集から選句した『安井浩司選句集』刊行。

●2009年、『もどき招魂』に次ぐ評論集として、『海辺のアポリア』刊行。また、『安井浩司全句集』に『四大にあらず』『句篇』の二句集を加え、『増補安井浩司全句集』を刊行。

●2012年、銀座ノア画廊にて「安井浩司 俳句と書展」開催。盛大なレセプションが開かれた。

●2014年、既刊の『もどき招魂』『聲前一句』『海辺のアポリア』に加えて、主要な評論をすべて収載した『安井浩司俳句評林全集』を刊行。

●2021年6月、誤嚥性肺炎で入院。

●2022年1月14日逝去。享年85。

著書

出典

参考文献

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