1948年大蔵省に入り、税務畑を歩く。関東信越国税局直税部長の際、飯塚毅への逆恨みから、飯塚事件のきっかけを作ったと言われる。証券局企業財務課長時代の1965年、山陽特殊製鋼の粉飾決算が発覚したことから、上場企業約700社の調査に乗り出し、内40社の粉飾決算を明らかにした。このことが契機となり、1974年に商法特例法が制定された。1977年証券局長で退官。1979年に次期社長含みで安田火災海上保険の副社長に迎えられるが、ワンマンとして知られた後藤康男社長とソリが合わず、翌年退任。その後は東邦生命保険会長を務めた。