安田老山 From Wikipedia, the free encyclopedia 安田 老山(やすだ ろうざん、1830年1月25日(文政13年1月1日)- 1883年(明治16年)8月24日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代の南画・文人画画家、書家。 生涯 美濃国高須藩の侍医安田春庵の子として江戸の藩邸に生まれた。養老山から名を養、号を老山とした。別号に万里翁がある[1]。当初は京都で医学を学んだが、これを辞めて画家を志し長崎に移り、南画を鉄翁祖門に学んだ。元治元年、清国に渡り、上海の文人画家の胡公寿に師事した。1873年に台湾経由して帰国し、東京に住む。女流画家の奥原晴湖と文人画の覇を競った。54歳没。主な作品は、『楓橋秋水図』『山水ノ図十二種』などがある[2]。青山霊園に墓碑が建てられた。 脚注 [1]UAG美術家研究所 異色の南画家・安田老山と蓑虫山人 [2]コトバンク 安田老山 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。表示編集この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks