安藤抱琴 From Wikipedia, the free encyclopedia 安藤 抱琴(あんどう ほうきん、承応3年12月30日(1651年1月21日) - 享保2年3月25日(1717年5月6日))は、江戸時代初期から中期にかけての国学者。名は為実。字は之賓[1]。通称は大学[1]。別号に素軒[1]。弟は安藤為章。 伏見宮に仕える安藤朴翁の長男として丹波国桑田郡(現京都府)に生まれる[2]。弟の為章とともに最初は伏見宮に仕え、後に2人とも水戸藩の徳川光圀に招かれて彰考館の寄人となり『大日本史』『礼儀類典』『釈万葉集』の編纂に従事し、『礼儀類典』の編集所である彰考別館の総裁に任じられる[3]。 光圀公は抱琴に手紙を送って感謝と慰労を伝えて速やかな完成を期待し、それからわずか一年半ほどで草稿を完成させた抱琴は香を焚いて光圀の手紙を拝見して子孫の栄誉にしたいと佐々介三郎に伝えているほど感激した[3]。 著作に「安藤為実雑記」などがある[1]。 脚注 1 2 3 4 『安藤抱琴』 - コトバンク ↑ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 71頁。 1 2 一般財団法人 日本学協会 物語水戸学(四) ― 朝恩にこたえる光圀公 ―/梶山孝夫 Related Articles