第一尚氏尚徳王亡きあと、王族の誰を後継者とするか重臣たちが集った。ここに居合わせた安里大親が突然に神がかりして「虎の子は虎、悪王の子や悪王、物呉ゆすど我御主、内間御鎖ど我御主」と謡い始めた。一同これに「ヲーサーレー」と唱和して、第一尚氏王族ではない、第二尚氏初代の内間金丸(後の尚円王)を擁立したとされる。金丸が御物城御鎖之側の職にあったとき、通勤のため安里の家の前を頻繁に往復しており、よく顔をあわせていたという。
尚円王即位後、安里村(現・那覇市安里)の地頭職に任じられた。『球陽』によれば、安里大親は崇元寺の建立(諸説ある)や浮縄御嶽の成立にもかかったという伝承がある。