宗成職 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代生誕 応永26年(1419年)?死没 応仁元年(1467年)享年49?改名 千代熊丸(幼名)→成職 凡例宗 成職時代 室町時代生誕 応永26年(1419年)?死没 応仁元年(1467年)享年49?改名 千代熊丸(幼名)→成職別名 通称:彦六官位 [注釈 1]幕府 室町幕府氏族 宗氏父母 父:宗貞盛子 継承者:貞国テンプレートを表示 宗 成職(そう しげもと)は、日本の室町時代の武将。 宗氏の当主で、対馬国の守護大名を務めた。 応永26年(1419年)、室町時代前期の対馬島主[2]・宗貞盛の嫡男として誕生[3][4]。幼名は千代熊丸[4][注釈 2]。 嘉吉4年(1444年)あるいは宝徳元年(1449年)に元服し[7]、室町幕府第8代将軍足利義成から偏諱を受け[6]、成職と称した[3]。 その後、父の跡をつぎ、宗氏の当主と対馬国の守護大名に就任した[4]。 康正元年(1455年)、成職は足利義成の命で守護代の宗盛直などとともに上洛し、朝鮮国との交易などで得た数々の品物を手に義成に謁見した[1]。 応仁元年に死去[4]。享年49。跡継ぎがいなかったため、家督はいとこの宗貞国がついだ[4]。 人物 朝鮮との関係 父・定盛が死去した際に朝鮮からの対馬へ弔辞の使者が派遣されたことがあるほか[7]、寛正2年(1461年)には朝鮮の世祖から中枢院事兼対馬州都節制使という官職を授与されるなど[8]といった関係を持っている。 少弐教頼 対馬へ逃れてきた少弐教頼の筑前国への復帰を助けるべく大内氏と戦ったことがあるが、後に敗れた[4]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 『宗氏家譜』、『宗氏家譜略』では刑部少輔を自称していたとされる[1]。 ↑ 『宗氏家譜』、『宗氏家譜略』には成職の幼名は「小宇彦万丸」や「中頃彦太郎」であったと[5]、『宗氏世系私記』には成職の幼名は彦六であったと記されている[6]。 出典 1 2 仲尾, p. 7. ↑ 日本人名大辞典+Plus,世界大百科事典内言及, 改訂新版 世界大百科事典,山川 日本史小辞典 改訂新版,デジタル版. “宗貞盛(そうさだもり)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年7月18日閲覧。 1 2 荒木和憲『対馬宗氏の歴史』(PDF)史学会、2017年、1頁。http://www.shigakukai.or.jp/uploads/pdf/126-09_shinkan.pdf。2025年7月18日閲覧。 1 2 3 4 5 6 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “宗成職(そう しげもと)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2025年7月18日閲覧。 ↑ 仲尾, pp. 6–7. 1 2 仲尾, p. 6. 1 2 仲尾, p. 9. ↑ 仲尾, p. 11. 参考文献 仲尾宏『宗成職島主期の日朝関係』(PDF)朝鮮通信使縁地連絡協議会。https://enchiren.com/wp-content/themes/enchiren/pdf/tsushin_1.pdf。2025年7月18日閲覧。 Related Articles