宗野徳太郎
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立教大学で長嶋茂雄を指導
清水中学から静岡城内高校に進学[1]。1年からレギュラーポジションをつかみ、1年夏を皮切りに、3度[2]甲子園に出場。立教大学時代、2学年下の長嶋茂雄をつきっきりで指導したと言われる。全藤倉でプレーしたのち、静岡市の菅野寛也医師[注釈 1]の医院の事務長。1978年、静岡高校創立100年の際には、学校から依頼され静高専任コーチとなり、野島譲監督を支えて甲子園出場を果たした。1981年から代行1年を含め、静岡高校野球部OB会長(第5代)を10年ほど務めた。
長嶋はかつてショートだったが大学時代から本格的にサードに転向し守備を徹底的に鍛えられた。宗野の教えによってミスターの代名詞である「指先を1塁方向へ残すスローイング」(送球の後に右手をヒラヒラと動かす所作)が誕生した。宗野はこの技術的な意味について「サードの場合、三遊間の深いところに打球が来ると体が開きやすく、一塁への悪送球につながりやすい。その開きを抑えるために、投げた後もう一度投げるような、リリースポイントを2つ作るイメージで投げてみるよう教えた。」と語っている。