宝泉寺 (瀬戸市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
位置
北緯35度13分35.8秒 東経137度06分36.3秒 / 北緯35.226611度 東経137.110083度座標: 北緯35度13分35.8秒 東経137度06分36.3秒 / 北緯35.226611度 東経137.110083度
山号
大昌山
宗派
曹洞宗
| 宝泉寺 | |
|---|---|
|
竜宮門の山門 | |
| 所在地 | 愛知県瀬戸市寺本町30 |
| 位置 | 北緯35度13分35.8秒 東経137度06分36.3秒 / 北緯35.226611度 東経137.110083度座標: 北緯35度13分35.8秒 東経137度06分36.3秒 / 北緯35.226611度 東経137.110083度 |
| 山号 | 大昌山 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 本尊 | 釈迦牟尼佛 |
| 創建年 | 建長4年(1252年) |
| 札所等 |
尾張三十三観音26番 東海四十九薬師25番 |
| 文化財 | 陶質十六羅漢塑像、古瀬戸瓶子(市指定) |
宝泉寺(ほうせんじ)は、愛知県瀬戸市寺本町30にある曹洞宗の寺院。
山号は大昌山。本尊は釈迦牟尼佛。陶質十六羅漢塑像と古瀬戸瓶子が瀬戸市指定文化財。山門が瀬戸市景観重要建造物。尾張三十三観音霊場第26番札所。東海四十九薬師霊場第25番札所[1]。寺本町という地名は宝泉寺に因んでいるとされる[2]。
中世
寺伝によると、鎌倉時代の建長4年(1252年)に神宮寺として創建された[1][3]。創建時の本尊は行基の作と伝わる薬師如来である[4]。天正年間(1573年~1592年)に戦禍に遭い、堂宇や本尊などが焼失した[4]。
近世
江戸時代の正保4年(1647年)、雲興寺の僧である興南が堂を建立し、延命地蔵を本尊としたうえで寺号を大昌山宝泉寺に改めた[1]。その後、15世の天池圍山師が諸堂を一新した[1]。
「瀬戸窯業中興の人」とされる加藤唐左衛門の墓は西谷墓地にあるが、宝泉寺の過去帳には「大功得成居士」という戒名が掲載されている[5]。
近代

1872年(明治5年)に学制が発布されると、1873年(明治6年)9月12日には宝泉寺に陶原学校(現・瀬戸市立陶原小学校)が設置された[6][7]。その後陶原学校は民家を借用していた時期もあるが、1884年(明治17年)には瀬戸川沿いの蔵所に校舎を建てた[8]。
1881年(明治14年)頃には栖雲居武貫が編纂した『瀬戸八景集』が刊行され、「宝泉寺晩鐘」も八景の一つに数えられた[9][10]。
現代
1953年(昭和28年)には「陶祖」加藤景正(藤四郎)と「磁祖」加藤民吉の墓碑が建立されたが、これらは1995年(平成7年)に窯神神社境内に移された[11]。