客死
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由来
漢字文化圏での客死の記述は、『史記』にしばしば現れる。「晋世家」には悼公が「祖父も父もみな国君に立つことが出来ず、難を避けて周におり、その地で客死しました。(書き下し:大父・父、皆、立つことを得ずして周に辟難し、客死す)」とあり、[2]「屈原伝」では、楚の懐王について「兵挫け地削られ、其の六郡を亡ひ、身は秦に客死し、天下の笑ひと為る。」とある[1]。
日本語では、1343年(興国4年/康永2年)に修訂が終わった『神皇正統記』巻五の後白河法皇条に 「左大臣は流矢(ながれや)にあたりて、奈良坂辺(ならざかのほとり)までおちゆかれけるが、つひに客死(かくし)せられぬ。」とあるのが古い使用例である[1]。