執筆期間は文明12年(1480年)正月から大永2年(1522年)正月にわたる。戦国期の公家の生活の情報に富み、細川政元の暗殺や細川澄元の敗死などいわゆる永正の錯乱を巡る畿内の政局をつぶさに見て取れる。
原本の大部分は宣胤生存中の明応9年(1500年)7月28日の京都大火で焼失し、3冊残存したが、現存するものは1冊もない。
写本としては、文明12年(1480年)から大永2年(1522年)に至る日次記と、文明10年以降の八朔贈答・渡方(摂関家渡領)南曹方(勧学院)・貢馬伝奏引付・長講堂伝奏事・嘉楽門院七回忌八講記などの別記が伝えられているが、日次記は欠失部分が多い。写本の種類は非常に多く、内閣文庫・宮内庁書陵部の蔵本をはじめとして、柳原家・勧修寺家・彰考館・静嘉堂文庫・尊経閣文庫本などがあり、相補っている。宣胤は有職故実・和歌・書道などに通じていたため、朝廷・公家社会の生活・文化などについての重要な記事が多く記述されている。
刊本では『(増補)史料大成』44・45巻(増補「史料大成」刊行会編、臨川書店、1985年)、『続史料大成』22巻(竹内理三編、臨川書店、1967年)に所収。