宮坂建設工業

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市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
080-0023
北海道帯広市西13条南14丁目1番地2
設立 1922年(大正11年)5月
宮坂建設工業株式会社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
080-0023
北海道帯広市西13条南14丁目1番地2
設立 1922年(大正11年)5月
業種 建設業
法人番号 3460101001798
事業内容 総合建設業、一級建築士事務所、宅地建物取引業など
代表者 宮坂寿文(代表取締役社長)
資本金 1億円
従業員数 340名(2026年3月)[1]
決算期 3月
関係する人物 本田幸一(副社長)
後藤真一(顧問)
外部リンク 宮坂建設工業株式会社
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宮坂建設工業株式会社(みやさかけんせつこうぎょう)は、北海道帯広市に本社を置く総合建設業の株式会社である。

前身となる宮坂組長野県から渡道した宮坂寿美雄によって1922年に創業した[2]。その後、北海道で土木・建築分野の事業を展開してきた[3]

太平洋戦争期の1942年(昭和17年)に施行された企業整備令[4]により、北海道では請負高が年間50万円以下の業者は統合され、請負高が50万円以上の業者は個人業者として存続すると定められた。これにより道内の約1,000社近くいた業者が93社に統合・再編されたが(1945年(昭和20年)に終了)[5]、宮坂組はこの整理を生き残った[6]

太平洋戦争終戦後から1951年(昭和26年)に北海道開発局帯広開発建設部が設置されるまでの間、萩原組(現・萩原建設工業)、栗林組(現・栗林建設)とともに、「出入り業者の三羽烏」や「土木業界の三羽烏」と呼ばれることもあった[7]

帝国データバンクによる十勝管内建設業売上高調査では2005年以来、首位を保っており、「北海道屈指の総合建設会社」と評される[3][8]

また、2024年度の道内主要発注3機関における業者別受注実績でも1位となっている[9][10]

日本建設業連合会の会員企業である[11]

沿革

出典:[2][12]

  • 1922年(大正11年) - 創業、初代宮坂寿美雄により宮坂組を設立。鶴間組東北海道出張所長を兼務。
  • 1936年(昭和11年) - 組織変更、宮坂組を設立。
  • 1942年(昭和17年) - 札幌営業所開設。
  • 1944年(昭和19年) - 法人化、株式会社宮坂組を設立。
  • 1948年(昭和23年) - 商号変更、宮坂建設工業株式会社に変更。
  • 1965年(昭和40年) - 釧路営業所開設。札幌営業所を支店に昇格。
  • 1975年(昭和50年) - 三代目社長に宮坂文一就任。
  • 1993年(平成5年) - 四代目社長に宮坂寿文就任、宮坂文一は会長に就任[13]
  • 2004年(平成16年) - 札幌支店を現在地に移転。
  • 2012年(平成24年) - 東京支店を開設。
  • 2017年(平成29年) - 札幌支店を支社に昇格。

歴代社長

出典:[2][13][12]

  • 宮坂寿美雄:1922年 - 1951年
  • 河西十二郎:1951年 - 1975年
  • 宮坂文一:1975年 - 1993年
  • 宮坂寿文:1993年 - 現在

事業所

出典:[14][15]

  • 本社 〒080-0023 北海道帯広市西13条南14丁目1番地2
  • 札幌支社 〒001-0014 北海道札幌市北区北14条西3丁目2番12号
  • 釧路支店 〒085-0046 北海道釧路市新橋大通3丁目2番126号
  • 東京支店 〒141-0031 東京都品川区西五反田3-9-23 丸和ビル

主な施工実績

  • 大狩部トンネル[16]
  • ホクレン新家畜市場[17][18]
  • 北海道スペースポート[19]

参考文献

  • 『浦幌村五十年沿革史:自明治33年至昭和24年』、浦幌村、1949年
  • 『拓聖依田勉三伝』、拓聖依田勉三伝刊行会、1969年
  • 『ふるさと百年 : 十勝風土記』、十勝毎日出版社、1969年
  • 『中標津町史』、中標津町、1981年
  • 『あかだも:豊頃よもやま話作品集』、豊頃町、1991年
  • 『帯広建設業協会100年史』、帯広建設業協会、2016年

関連項目

脚注

外部リンク

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