宮崎利秀 From Wikipedia, the free encyclopedia 宮崎 利秀(みやざき としひで、1919年 - 1982年1月1日[1])は、日本の教員で俳人[1]。 杉森久英の小説『黄色のバット』のモデルになったことで知られる[1]。 群馬県伊勢崎市に生まれる[1]。生後すぐに埼玉県妻沼町(現・熊谷市)に転居した[1]。 熊谷中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校、1937年卒業)を経て、横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)を卒業した[1]。熊谷中学校では金子兜太と同窓だった[1]。1942年に東京工業大学機械工学科を卒業すると、陸軍兵技将校として相模造兵廠監督課に勤務した[1]。陸軍航空本部付技術少尉[2]として満州派遣されている際に敗戦となる[1]。 敗戦後は占領軍の英語通訳を務めながら、1946年に『東京ジョー』を刊行した[1][3]。 その後英語教師として、神奈川県立上溝女子高等学校(現・神奈川県立上溝高等学校)、橋本農学校、桜美林学園、相模原市立田名中学校に勤めたが、リウマチに罹患、1951年に帰郷して母校の熊谷高等学校に勤めた後、1957年に埼玉県立浦和高等学校に転任し、俳句『あざみ』の初代編集長となる[1]。 没後の1983年3月に、妻沼の大我井神社境内に句碑が建立された[4] 著書 『句集 星の微笑』 脚注 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 宮崎利秀 - 熊谷文化財 2023年6月22日閲覧 ↑ 松原慶治編『終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑』戦誌刊行会、1985年、244頁。 ↑ 東京ジョー - 国立国会図書館サーチ ↑ 宮崎利秀句碑 - 熊谷デジタルミュージアム(2023年6月22日閲覧) 典拠管理データベース 全般ISNIVIAF国立図書館アメリカ日本その他Yale LUX この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集 Related Articles