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宮本武蔵 巌流島の決斗

1965年に公開された、内田吐夢監督による日本映画 From Wikipedia, the free encyclopedia

『宮本武蔵 巌流島の決斗』(みやもとむさし がんりゅうじまのけっとう)は、1965年(昭和40年)9月4日公開の日本映画である[1]。東映製作・配給[2]。監督は内田吐夢、主演は中村錦之助(萬屋錦之介)。富士フイルムカラー、東映スコープ、121分。

吉川英治の小説『宮本武蔵』を原作とした、「内田監督・中村主演の『宮本武蔵』シリーズ」全5部作の最終作[2][3]。

本作の冒頭において、前4作(『宮本武蔵』・『般若坂の決斗』・『二刀流開眼』・『一乗寺の決斗』)のそれぞれのダイジェストが数分程挿入されている。

第20回芸術祭参加作品。第20回芸術祭賞芸術祭奨励賞。1965年度NHK映画賞最優秀監督賞(内田吐夢)[4]。

スタッフ

左から高倉健、内田吐夢、中村錦之助。機関誌『映画撮影』の表紙より。

キャスト

内田監督・中村主演『宮本武蔵』シリーズの全予告

第一部〜第四部ダイジェスト(アヴァンタイトル/ノンクレジット)

製作

シリーズの企画者である岡田茂東映京都撮影所所長は[5]、時代劇から任侠路線の切り換えを決断しており[5]、多くの時代劇シリーズを中止させた[6]。本シリーズも中止を決めていたが[5][6]、鈴木尚之らが岡田に頼み込み[6]、製作費を大幅に削った上で製作を決めた[5][6]。巌流島なしの宮本武蔵になるかもしれない危機だった[6]。

1965年3月29日にあった製作記者会見でのタイトルは『宮本武蔵・完結編』であった[7]。

キャスティング

1964年8月に山城新伍とともにハワイから拳銃を持ち帰り[8][9][10]、ヤクザに譲渡した罪で[8][9]、1965年2月に京都地裁から懲役8ヶ月(執行猶予3年)の判決を受けた里見浩太朗は[8][9][11]、『日本侠客伝 浪花篇』以降、実質干されていたが[8]、静岡の禅寺に籠る里見を見た中村錦之助が、内田吐夢監督に里見の起用を進言した[8]。錦之助が主演した『ちいさこべ』や『冷飯とおさんとちゃん』の原作者である山本周五郎が、里見のデビュー当時からのファンで[8]、山本が錦之助に「里見を助けてやれないか」と頼んだといわれる[8]。

撮影記録

1965年4月、滋賀県饗庭野でクランクイン[7]、1965年6月末、クランクアップ[12]。内田は巌流島の波にこだわっていたが[6]、予算の大幅削減で海でのロケは叶わず[6]、巌流島の決闘は滋賀県琵琶湖畔の近江舞子を巌流島に見立てて撮影された[6][11]。内田監督は体調が悪く、酸素ボンベを持った私服の看護婦が付き添うこともあったという[13]。

興行

東映初の試みとして本格的ロードショーが、一般公開に先立つ1965年7月24日から8月12日までの12日間、丸の内東映のみで本作一本立ての特別興行が行われ[5]、1日平均100万円を割らない大ヒットで、同劇場の興行成績を更新した[5]。1964年6月27日公開の『鮫』でも同様の先行上映をやったが『鮫』は先行上映の後、一般上映に引き継いだが、今回は先行上映の後、24日も間を開けた[5]。

同時上映

『怪談片目の男』

脚注

参考文献

外部リンク

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