宮田聡
愛知県名古屋市出身の電気化学者
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人物
東京帝国大学工学部電気工学科を卒業後、1924年(大正13年)4月に理化学研究所に入所した[1]。
1917年(大正6年)に創設された理化学研究所では物理学部の鯨井恒太郎の研究室(鯨井研究室)で電気絶縁材料の研究が行われており、1923年(大正12年)12月28日に鯨井と植木榮によって『「アルミニウム」並びに「アルミニウム合金」の防銹法』(特許第61920号)が特許出願され、これが日本で最初の陽極酸化被膜の特許となっていた[1]。
1928年(昭和3年)7月、宮田を実験工場の責任者として陽極酸化被膜製品の工業化に着手した[1]。ある日、宮田がアルミニウム製三角定規の陽極酸化処理の煮出し(湯洗)を行っていたところ、本来重なってはいけない箇所が重なったまま処理されたことがきっかけで、アルミニウム酸化被膜の多孔性は高圧水蒸気にさらすことでなくなると考えた[1]。宮田は横浜高等工業学校で教授をしていた親友の山田嘉久を訪問し、オートクレーブで検証実験を行って高圧蒸気処理法を生み出した[1]。この時をもって「アルマイト誕生の瞬間」とされることもある[1]。