宮部ひかり

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生誕 (1969-03-23) 1969年3月23日(57歳)
出身地 日本の旗 日本・東京都
ジャンル J-POP
活動期間 1991年 -
宮部 ひかり
生誕 (1969-03-23) 1969年3月23日(57歳)
出身地 日本の旗 日本・東京都
ジャンル J-POP
活動期間 1991年 -
レーベル エピックソニー
(1991年 - 1994年)
事務所 DODO Company
(1991年 - 1994年)
共同作業者 和泉常寛

宮部 ひかり (みやべ ひかり、1969年3月23日 - )は、日本のシンガーソングライター音楽プロデューサー

1991年にエピックソニーよりシングル「がんばっちゃWoman」メジャー・デビュー。1994年までに7枚のシングルと4枚のアルバムをリリースした。

エピックソニー離脱後の1997年には、4thアルバム『Fake Schön』のプロデュースを手がけた和泉常寛、エンジニアの井上和義と共にクリエイティブチームRuby Tuesdayを始動。韓国発の音楽ゲームEZ2DJDJMAXシリーズの楽曲を数多く手がけた[1]ほか、太田貴子カルロス・トシキの自主制作盤への楽曲提供やプロデュース活動を行った。

音楽性

  • 見た目に反してハスキーな声質と、造語やダジャレなどウィットに富んだ独特な言語感覚を伴う歌詞が特徴で、同時代に活動していた森高千里永井真理子が引き合いに出されるなど、ガールポップの文脈での評価が成されている[2][3]
  • 元々はシンガーとして作詞を行うのみであったが、エピックソニーでの活動を通して「歌詞を書いて歌を歌えるだけではいけない」との思いから作曲・編曲、デザインなど音楽作品のプロデュースに関する勉強を始め、Ruby Tuesdayへの合流に至った[1]

家族

兄が2人おり、いずれも音楽関係者である。

  • 1stアルバム『怪傑ジェーン』から2ndアルバム『ときどき私がわからない』にかけては、作曲のほとんどを実兄の宮部智夫が担っていた。
  • もう1人の兄である音楽ライターの宮部知彦は、かつてAUTO-MODのマネージャーを務め、テレグラフ・レコードのサブレーベルWechselbalg Syndicateなどインディー・レーベルの運営やディストリビュートを行ったことで知られる[4]

ディスコグラフィ

アルバム

# 発売日 タイトル 規格 規格品番
1st 1991年7月1日 快傑ジェーン CD ESCB-1151
2nd 1992年6月1日 ときどき私がわからない CD ESCB-1288
3rd 1993年3月21日 MIX UP CD ESCB-1347
4th 1994年5月21日 Fake Schön CD ESCB-1435

シングル

# 発売日 タイトル 規格 規格品番
1st 1991年6月1日 がんばっちゃWoman 8cmCD ESDB-3213
2nd 1991年10月10日 我慢限界 8cmCD ESDB-3247
3rd 1992年5月21日 CHOUP!CHOUP! 8cmCD ESDB-3303
4th 1992年11月21日 リッパ!! 8cmCD ESDB-3346
5th 1993年2月21日 飛び出せ地元ty 8cmCD ESDB-3360
6th 1993年7月1日 決意の看板娘(カバーガール) 8cmCD ESDB-3397
7th 1994年4月21日 LYNDA 8cmCD ESDB-3476

タイアップ

楽曲提供

脚注

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