9歳で出家し、1706年受戒(数え年5歳)、1712年得度(数え年11歳)とも言われ、備中国浅口郡の普賢院超染律師に師事し仏性戒・両部灌頂を受けた。その後諸国を遊学して梵学を特に熱心に学んだ。元文元年(1736年)京都御室五智山蓮華寺に入り曇寂に師事して醍醐法流の印璽を受け、さらに和泉国家原寺で具支灌頂を受け、宝暦10年(1760年)長谷寺常明から地蔵院流の秘奥を受けた。その一方で、自らも備中国宝島寺を中心に密教を布教し、多くの悉曇(しったん)関係の著作を残した。明和4年(1767年)倉敷玉泉寺に退き、そこで亡くなった。