富和宗一 From Wikipedia, the free encyclopedia 富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月14日 - 1991年(平成3年)2月5日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から9代目)。 奈良県大和郡山市出身[1]。広島高等学校を経て1934年4月京都帝国大学法学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社[2][1]。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1965年(昭和40年)5月25日に取締役となる[1]。以後、1968年(昭和43年)11月25日常務取締役、1971年(昭和46年)5月25日専務取締役を経て、1973年(昭和48年)5月に取締役副社長に就任[1]。1977年(昭和52年)6月22日、今里英三の後任として社長に就任する[1]。社長在任中には、東京に都ホテル・東京を建設して、ホテルチェーンの拡大強化を計り、第5次輸送力増強等5か年計画を遂行し、生駒線の複線化や各線の主要駅におけるホーム延伸や近鉄八尾駅付近などの線路高架化などを実施した[3]。また、自己資本充実5か年計画も遂行し、企業体質の強化を計った[4]。 1981年(昭和56年)6月22日、社長の座を上山善紀に譲る形で退任して相談役となり、1990年(平成2年)3月13日までに務めた(1983年(昭和58年)6月28日までは取締役を兼任)[5][1]。 1977年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲二等瑞宝章を受章[1]。 1991年(平成3年)2月5日に肺炎のために奈良市内の病院で死去。享年80歳。 無類のゴルフ好きであった。 脚注 1 2 3 4 5 6 7 興信データ株式會社 1991, と79頁. ↑ 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」p.372 ↑ 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」p.372、p.373 ↑ 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」p.372、p.373、p.374 ↑ 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」p.626、p.627 参考文献 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」 近畿日本鉄道 2010年 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、1991年。 表話編歴 近畿日本鉄道社長大阪電気軌道 廣岡惠三1910-1912 岩下清周 1913-1914 大槻龍治 1915-1927 金森又一郎 1927-1937 近畿日本鉄道 種田虎雄 1937-1947 村上義一 1947-1951 佐伯勇 1951-1973 今里英三 1973-1977 富和宗一 1977-1981 上山善紀 1981-1987 金森茂一郎 1987-1994 田代和 1994-1999 辻井昭雄 1999-2003 山口昌紀 2003-2007 小林哲也 2007-2015 和田林道宜 2015-2019 都司尚 2019-2023 原恭 2023- Related Articles