富塚宗綱 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代初期生誕 天文12年(1543年)死没 慶長18年(1613年)[1]別名 通称:亀松、又市郎、孫兵衛尉[2] 凡例冨塚宗綱時代 戦国時代 - 江戸時代初期生誕 天文12年(1543年)死没 慶長18年(1613年)[1]別名 通称:亀松、又市郎、孫兵衛尉[2]官位 近江守[2]主君 伊達輝宗→政宗氏族 冨塚氏父母 父:冨塚仲綱子 信綱、山川賢信[1]テンプレートを表示 冨塚 宗綱(とみつか むねつな)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将[2]。伊達氏の家臣[2]。陸奥国伊達郡森山城主[2]。 天文12年(1543年)[1]、冨塚仲綱の子として誕生[2]。 宗綱が幼少の頃、父・仲綱が天文の乱で伊達稙宗に属して討ち死にし、伊達晴宗によって所領を没収されるが、天文22年(1553年)に懸田俊宗の懇願によって宗綱は所領の一部を返還された[2]。その後、伊達輝宗・政宗父子に従う。 天正13年(1586年)の人取橋の戦い[1]等の戦いに従軍し、後に宿老に任じられた[2]。文禄の役では岩出山城の留守居を務めている[2]。政宗の治世のうちに没したという[2]。 家督は子・信綱が継いだ。以後、3代続いたが享保3年(1718年)に改易となった。 脚注 1 2 3 4 やまがた情報局 戦国観光 伊達家の人々 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 『戦国人名事典』551頁 出典 『戦国人名事典』(阿部猛、西村圭子編) Related Articles