富士松紫朝 From Wikipedia, the free encyclopedia 富士松 紫朝(ふじまつ しちょう)は、新内、粋曲、音曲、都々逸の名跡。本項では初代富士松紫朝について記述する。 二代目富士松紫朝(1860年1月25日 - 1943年2月5日) - 初代と同じく九州出身で盲目、初代の門下で紫好斎を名乗り、初代が引退したのと共に二代目を襲名。本名は古賀 城武。 三代目富士松紫朝 - 1936年5月に富士松佐交から三代目紫朝になった。 本名佐藤 竹次郎生年月日1826年6月19日没年月日 (1902-03-01) 1902年3月1日(75歳没)出身地現在の 日本・福岡県久留米市 初代 富士松(ふじまつ) 紫朝(しちょう)→富士松 紫翁 本名 佐藤 竹次郎 生年月日 1826年6月19日 没年月日 (1902-03-01) 1902年3月1日(75歳没) 出身地 現在の 日本・福岡県久留米市 師匠 初代富士松魯中 弟子 二代目富士松紫朝 家族 新内語り 表示 初代富士松 紫朝(ふじまつ しちょう、1826年6月19日 - 1902年3月1日)本名は佐藤 竹次郎。 九州の久留米出身。盲人ながら安政年間から幕末・明治の初年にかけて初代富士松魯中の門人で、寄席で新内語りとして人気を得た。後に弟子に紫朝を譲り、自身は紫翁となり久留米に隠居した。墓所は久留米市妙正寺。 三遊亭圓朝の「朝」はこの紫朝にちなんだものという。なお、同じ新内の名跡で富士松ぎん蝶と混合されやすく、富士松紫蝶と表記されることがある。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。表示編集 Related Articles