富山電報電話局
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分室
富山電報電話局は、1958年(昭和33年)12月1日に富山電話局、富山電報局及び岩瀬電報局を統合して開設された[3]。1965年(昭和40年)12月12日に婦中分室を廃止して婦中電報電話局を開設し[4]、また1971年(昭和46年)12月17日の水橋電報電話局廃止に際してはその機能を当電報電話局に集約した[5][6]。1985年(昭和60年)4月1日の民営化後もしばらく電報電話局の名称が用いられたが[7][8]、1989年(平成元年)4月1日より全国的に電話局及び電報電話局は支店、あるいは営業所と改称された[9][10]。これにより、富山県内には地域の中心的拠点として県東部支店及び県西部支店の2支店が置かれた[10][11]。
1964年(昭和39年)当時は内部機構として業務部、運用部及び施設部の三部を有し、業務部の下に受付通信課、配達課、加入課及び料金課、運用部の下に第一運用課、第二運用課、第三運用課、第四運用課、自動運用課及び電話監査課、施設部の下に第一線路宅内課、第二線路宅内課、市外通話課、第一機械課、第二機械課、電信機械課、試験課、電力課及び増設電話課を置き、また部に属しない課として資材課、会計課、労務厚生課、庶務課及び医務室を有した[2]。


- 岩瀬分室 - 所在地は富山県富山市岩瀬大町であった[12]。1958年(昭和33年)12月1日に開設され[3]、1972年(昭和47年)4月1日廃止された[13]。
- 婦中分室 - 所在地は富山県婦負郡婦中町笹倉であった[14]。1961年(昭和36年)10月15日に開設され[15]、1965年(昭和40年)12月12日廃止された[4]。
分局
立山山頂附近における電報電話の取扱
このほか富山電報電話局においては夏季に立山において臨時に電報電話の取扱を行っており[19]、富山電報局時代はこれを立山室堂分室と称した[20]。1937年(昭和12年)に県営鉄道が粟巣野まで延伸した際、当時の小見郵便局長が各方面からの要望に応じて、同年7月に室堂山荘裏に局舎を建設して郵便取扱を開始したが、同時に同所において電報電話業務も取扱っていた[21]。これがその濫觴であり、富山電報電話局においては立山山頂臨時出張所といい[22]、あるいは立山山頂臨時電報電話取扱所と称した[21]。のち1960年(昭和35年)に至って正式な電報電話取扱所として認可され、同年6月20日に結成された当時の立山開発鉄道社長高橋良太郎を首班とする立山山頂団体加入電話組合が電電公社より設備を借受して業務を行うこととなった[21]。
この立山山頂臨時電報電話取扱所は、立山黒部アルペンルート開通に伴う通信設備増強の要望に応じて1971年(昭和46年)4月25日に廃止され、代って室堂山頂局が開設された[21]。1975年(昭和50年)7月2日には電話交換方式を磁石式から共電式に改めるなど能力向上が図られたが、観光客増加に伴って交換業務は飽和状態となり、その対策のため1979年(昭和54年)9月1日に自動化を実施した[21]。次いで1983年(昭和58年)7月1日に当時最新の交換設備であったSL1をホテル立山に設置し、立山室堂交換局が開局した。この交換局の開設に伴い担当局は富山電報電話局から婦中電報電話局へと移管された[21]。

